指導:眞木喜規、上田益 ピアノ:陶山薫子
今日は会場に教会をお借りしての練習でした。
発声練習の後、
生きとし、生けるものへ から1曲目冒頭をアカペラで練習しました。
響きに任せる様に歌うのは良いのですが、残響を聴きすぎて遅れてしまうのは問題です。
続いて3曲目も伴奏が三連符になる所がテンポがずれやすい傾向があるのが気になっていたのでその箇所を取り出したのですが、出だしから遅れる傾向があり、長い残響を聴きすぎる事によってずれてしまうので、今日は違う要素も含め二重に難しくなってしまいました。前半の眞木が担当する箇所はこの後また逢える
から2曲目を練習しました。
後半、上田先生はこの日は通すことよりも重点を絞って練習をされました。
特に、黙礼の3曲目は時間をかけて練習しました。
遅れてしまうのは聴きすぎてしまうのと長いフレーズ感を感じられずにぶつ切りになることで、その都度止まってしまうからと仰っていました。
教会での練習は声の響きを感じながら歌うことができ、合唱には向いているのですが、響きがあまりにも豊かで残響時間が長いと残響の最後まで耳で音を追いかけすぎてしまい遅れる傾向が出てきます。
後ろで聴かせていただきながら何箇所か歌ってみたのですが、結論から言えば、遅れずに歌うことは可能でした。
途中からはその違いがハッキリと理解できたからです。
天井が高いと、上から回ってくるピアノの音を聞いてしまうために、全体的に歌の出から既に遅れている事が多いのです。
こうしたケースでは皆さんは「合わせようとする」と余計にどんどん遅れていきます。
なぜなら遅れて聴こえてきた音に合わせているからです。「合わせる」と「合っている」は大きく異なります。
またこういう時に、合わないからとリズムに関係なく単に速く歌ったりするのは音楽ではありません。むしろ破壊行為になります。
以前からもお伝えしている通り、言葉のアクセントと楽譜の表拍が合っている箇所を前もってしっかり狙って歌って下さい。
そして指揮に合わせて声を出すのではなく指揮者の振り下ろす動きを狙って声を出すのです。
そうしてフレーズの波に乗る事が大切なのです。波に乗るときには最初から乗らないと途中から乗ることは無理です。波に飲まれて潜ってしまいます。
特に表拍から歌い始める箇所は、少なくともその前の小節の表拍で、次の歌い始めの表拍を狙わないと必ず遅れる事になります。
長縄跳びをされたことがある方は縄の軌道を思い出してみて下さい。
そうして狙って歌った声は意思を持ちます。
意思を持って出された音でなければ客席には伝わりません。ピアノの音や他人に合わせようとした音は意思の弱い、もしくは無い音です。
今回は難しい話になりましたが、すぐに理解するのは難しくても、まず音の意思のあるなし、その違いに気付いてもらえれば、と思いました。
残響があってもなくても同じ事ですが、これは特に演奏会においてホールで演奏する時に、大事なことだと思いましたので書かせていただきました。
記録:眞木喜規(指導者)
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